【特集インタビュー】イラストレーター・絵本作家 小池アミイゴさんが見る「群馬のいま、昔、これから」

小池アミイゴさんが見る
群馬のいま、昔、これから

-イラストレーター、絵本作家として活動されるようになったきっかけは何ですか?
小池:
中学の頃の僕は、世界中の音楽のことを村の誰よりも知っている“情報通”みたいな感じだったから、いつもあれもやりたい、これもやりたいって気持ちが爆発しそうだった。同時に生きづらさみたいなものをずっと感じていたから、親に「高校を出たら大学に行け」って言われた時に、群馬から離れられることと、自分が憧れるいろんなカルチャーに触れられることに意味を感じて、東京へ出ました。でも大学に行くのは嫌だったし、錆びたナイフを振り回すようなやつだったから、居心地が悪かったんだよね。そんな僕を面白がってくれた友人たちが、俳優養成所の「無名塾」や美術学校の「セツ・モードセミナー」に入るように勧めてくれて、願書まで取ってきてくれて。ちょうど詩の雑誌『鳩よ!』(マガジンハウス刊)に出ていた「セツ・モードセミナー」の「自由の学校です」という広告を見て、「自由って何だろう?」と思っていたところだったから、「セツ・モードセミナー」に入りました。そこで創設者の長沢節という強烈な美意識に出会って、「人は美意識で生きてもいいんだ」ということを知れたことが大きかった。あとは「人と違うことだけが個性じゃない。人に自分と似たものを感じることも個性だよ」と教えてもらったことで、張っていた肩がストンと落ちて、自分の人生が始まった感じがしたんだよね。

−絵だけではなく、生き方を教わったんですね。
小池:
そうだね。長沢節にものの見方を学んで、風景や人の美しさを知りました。「セツ・モードセミナー」に行って「絵って面白いな」と思うようになってから、一切退屈しなくなったんだよね。それまでは休みの日に何かしなくちゃ、楽しまなくちゃって思っていたんだけど、価値観が変わってからはそんなことを思わなくなった。角度の違う木が並んでいるのを見るだけでも面白いんだよね。

「前橋コーヒーマーケット2024」で開催した小池アミイゴさんの「にがお絵ワークショップ」。小池さんが描いた線画に、参加者が自分で色をつけた
写真:三橋里奈

自由に表現するために
まずはまわりの人たちを笑顔にする

−そこから絵を描く人生が始まったんですね。アミイゴさんは東日本大震災や能登半島地震の際に現地へ行ったり、「東日本」をテーマに継続的に展覧会を開催したり、人のために活動している印象があります。
小池:
東日本大震災の時は息子が1歳だったから、「自分の言葉でこの震災を語れる大人になっておかないといけない」という気持ちが大きかったと思う。あとは7つ下に年の離れた妹がいるから、中学、高校は遊びにも行かず、妹の面倒ばかりみていたんだよね。その頃から僕の原動力は自分自身ではなく、弱きものだったんだと思う。目の前に放っておけない人がいたら、その人の安心、安全を確認しなければ自分が幸せになれないし、自由になれない。僕は音楽関係の仕事もやっているから、クラブイベントやライブイベントもたくさん作ってきたけど、楽しんでいる人じゃなくて、端っこでもじもじしている人が気になっちゃって。「あの人を笑顔にしよう」と思うから、その子が笑顔になってくれたら僕も「よし」と思って、やっと自分も楽しめるんだよね。

「にがお絵ワークショップ」の参加費は、「前橋コーヒーマーケット2024」の運営費を除いた額の半分を能登半島地震に寄付
写真:三橋里奈

前橋が大好きだった少年時代を経て
いま、前橋のためにできることとは

−群馬のいまと昔をどのように見ていますか?
小池:
僕は前橋から上毛電鉄で22分ぐらいのところにある粕川村で生まれ育ったんだよね。子どもの頃から「この道いいな」、「この生垣いいな」と思うような、すごく美しい景観が残っていた村で。でも粕川村は田舎だから、前橋に行くのもすごく好きだった。中央前橋駅を降りて、広瀬川を渡ると交番があって。100円ラーメンの「前橋飯店」を横目に銀座通りを進むと、「ミヤマ会館」が出てきて、今日は何の映画がやっているのかなってドキドキする。さらに進むと「スズラン百貨店」があって、その先の中央通り商店街にあるおもちゃ屋を通り過ぎて曲がると、「前三百貨店」があるんですよ。「前三百貨店」の4階がおもちゃ売り場なんだけど、当時の僕にはそこが夢の国みたいに感じられた。キラキラしていて、人がたくさんいる前橋がすごく好きだった。それが、だんだん失われていくんだよね。自分が愛した風景が失われていく喪失感がすごくあった。だから、僕が前橋の力になれることはあるのかなっていつも考えていたかな。僕は絵を描き始めた頃から、バブルで失われていく東京に対する憐憫の情が激しくて、時間があれば都内を歩いて街の絵を描いていたの。そういう活動や、日本をフィールドワークする理由には、一度僕の中の前橋を失ったことがあるんだと思う。

−いま、前橋のにぎわいが復活しつつあるように思いますが、いかがですか?
小池:
「JINS」の田中仁さんが進めている街づくりは素晴らしいと思う。綺麗なスタートラインが引けたと思うから、これからどこへ走って行くかだよね。今度、まちなかに共愛学園小、中学校が来て、県庁までのケヤキ並木通りとその周辺を再開発する計画もあるけど、それもすごくいいアイデアだよね。前橋を“学びの街”みたいにしてもいいし、アートスクールをやるんだったら僕にできることがあればやるよって思うし。いま、東京の代々木で子どもたちの学びの現場にどんどん入ってファシリテーターみたいなことをする仕事をしているんだけど、前橋でも、そういう行政の計画にコミットできたら面白いなと思う。

旧花輪小学校記念館で開催された「みどりのはなわプロジェクト」の展覧会の様子

−みどり市と組んで「みどりのはなわプロジェクト」も進めていますよね。
小池:
みどり市の市長が、僕と放送作家の小山薫堂さんが一緒に作った「旅する日本語」の仕事を知っていて、高校の先輩でもあったことから声をかけてくれて始まったプロジェクトです。町の職員と一緒にみどり市のフィールドワークをする中で、花輪というエリアを僕自身も再発見して、花輪を起点にワークショップと展覧会を開催しました。「みどりのはなわ」というワードを作ったから、それを活かしたんだよね。今後は日本中から花の絵とその花にまつわる物語を送ってもらって、展覧会ができないかなと考えていて。花の絵を送ってくれた人には花の種を送り返して、花が咲いたらみんなでハッシュタグをつけてInstagramにアップしてもらう。そんなことができたらいいね。

−まだまだ続きますね、「みどりのはなわプロジェクト」。
小池:
みどり市もいいところだから、ぜひ遊びに行ってみてください。

「しおんの花」小池アミイゴ
小池アミイゴさん(こいけ あみいごさん)
1962年群馬県粕川村生まれ。イラストレーター、絵本作家。東京イラストレーターズ・ソサエティのリレーションシップ・オフィサー。書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、クラムボンのアートワークなど音楽家との仕事多数。東日本大震災発生後、東北地方を巡り「東日本」をテーマに作品を制作。絵本『はるのひ』(徳間書店)では第27回日本絵本賞受賞。本紙で3ヶ月に1度の連載「ぐんまへのラブレター」を担当
写真:三橋里奈

●2025年5月10日から6月にかけて、前橋の「フリッツ・アートセンター」にて小池アミイゴさんの展覧会を開催予定!
小池アミイゴさんのInstagram @amigosairplane

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