【特集インタビュー】大丸屋・浅井広大さん「師匠の仕事に魅せられ 養蚕業を生業にする」

当時20代だった浅井広大さんが養蚕業を一から学び、養蚕農家になったのはなぜなのか。
生まれも育ちも県外の浅井さんが甘楽富岡と出会ったきっかけから、養蚕農家になるまで、そして養蚕業の未来についてお話を伺いました。

師匠の仕事に魅せられ 養蚕業を生業にする

-以前はJICA(ジャイカ:国際協力機構)で活動されていたそうですが、どのような経緯で養蚕農家になったのでしょうか?

浅井 大学で農業経済を学んだ後、青年海外協力隊としてネパールでキノコ栽培を普及させるために、JICAから紹介された甘楽富岡の椎茸農家に研修に行きました。研修先の椎茸農家さんがとてもいい方で、栽培方法を教えてくださるだけではなく、「他の農家さんも見に行くといい」と言って紹介してくださったりもして。その時に、僕みたいな県外から来た若者を応援してくれるなんて富岡はとてもいい土地だな、と思いました。その後ネパールに渡り、2年間の活動を終えて帰国した2015年にネパール地震が起き、僕が活動していた地域でも3000人ほどの方が犠牲になってしまって。僕の知り合いも亡くなってしまったので、甘楽町に拠点を置いているNPO法人「自然塾寺子屋」に席を置き、1年間復興支援活動をしました。その間にたまたま養蚕業について知る機会があり、養蚕農家さんってかっこいいなと思ったのが養蚕業を始めたきっかけでした。まだまだ賭けではありますが、今後養蚕業を活性化させる余地があると感じたことも理由のひとつです。

-養蚕農家さんのどんなところをかっこいいと思われたのですか?

浅井 養蚕農家さんで研修をした際に、働く姿を見ていてそう思いました。例えば蚕が食べる桑を切る作業は、やってみるととても難しいんですが、僕の師匠の金井一男さんはパパパっと素早く正確に切っていてとてもかっこいいんです。金井さんは当時70代半ばぐらいだったのに僕よりも重いものを簡単に持ち上げるし、金井さんの奥さんも太い桑をスパスパ切るし。そんな師匠たちの姿や、五感を使って蚕を飼う姿が印象に残っています。

-“五感を使って蚕を飼う”とはどういうことでしょうか?

浅井 蚕の色や匂いで次の作業に移るタイミングを決めるんです。蚕の体の色が飴色になってきたり、蚕が尿をたくさんしてアンモニア臭が蚕室に立ち込めてきたり、動きが変わったり、触感が柔らかくなったりすると「そろそろ蚕が糸をはき始めるな」と。あとは人間が気持ちいいと感じる程度の風を蚕室に入れる必要があるので、幕を上げ下げして風量を調整したりもするんですよね。そうやって師匠が五感を駆使して蚕を飼う姿に憧れて、この世界に入りました。

-蚕は卵からご自身で育てるんですか?

浅井 自分で育てるのではなく、蚕の幼虫を育てる「稚蚕共同飼育所」という施設で年に5回蚕を買います。まつ毛ぐらいの大きさの蚕が爪ぐらいのサイズになるまでは病気にとても弱く、感染すると小さいうちは全滅してしまう危険もあるので、大きなクリーンルームのようなところで育てるんです。餌は桑が原料の、病気に感染しづらい人工飼料を与えてくれるし、機械化も進んでいて管理体制がしっかりしています。そこで14〜17日ぐらいかけて育った蚕を買っています。

蚕が繭づくりをする時期になると、蚕が繭を作る枠「回転まぶし」に移す

養蚕業の次世代を担う人々の 暮らしと研修制度について

-浅井さんは蚕のほかにネギも育てているんですよね。

浅井 養蚕業だけで生計を立てるのは難しいので、冬期はネギ農家をやっています。年間3トンぐらい出る蚕のフンをネギの畑に撒くと、すごくいい肥料になるんです。撒くのと撒かないのとでは出来が全然違いますよ。以前は冬期は酒蔵で働いていましたが、「やっぱり農業がやりたい」と思って下仁田ネギを作り始めました。ほかの養蚕農家さんも、蚕だけではなく椎茸やこんにゃく、いちごなど、ほかのものも育てている方が多いです。

-養蚕農家は昔に比べると減っていると思いますが、浅井さん以外にも身近に若い世代で養蚕業を始めた方はいらっしゃいますか?

浅井 インドに青年海外協力隊に行く前にうちで研修したことを機に、一昨年富岡市に移住して養蚕業を始めたご夫婦がいます。インドから帰国後は会社勤めをしていましたが、養蚕業がやりたくなったそうで脱サラしてきました。ほかにも、最近群馬県が養蚕業に就きたい人に向けて「ぐんま養蚕学校」という研修制度を始めたので、養蚕業を始めた方がちらほらいるみたいですね。

-「大丸屋」でも研修を受けられるんですか?

浅井 受けられます。うちでは蚕やネギを育てるほか、養蚕業の継承を目的とした研修をしたり、養蚕体験をしたりもしています。夏休みに都市部から養蚕体験に来られるご家族もいるほか、個人単位の体験も歓迎しています。

築140年の二階建ての古民家に耐震工事を施した養蚕体験・研修所「大丸屋」

富岡の養蚕農家を増やし 世界に富岡シルクを供給したい

-養蚕業を始めて7年ほど経ちますが、いかがですか?

浅井 先輩の養蚕農家さんが「蚕は一生稽古だ」と言うくらい難しいけど、そこが楽しいですね。蚕は「温度の虫」とも言われていて、蚕が来る日は同じでも、糸をはき始める日は気温によって毎回違う。この辺りだろうと予測はできても、ちょうどを見極めるのがすごく難しいんです。糸をはき始める前にお蚕上げ(繭をつくる枠に蚕を移す作業)をすると小さな繭になってしまうから、ギリギリまで桑を食べさせてから上げるといい繭ができるんですよね。その見極めにはさっき話した五感が重要になってくるので、そこが面白いです。

-今後の展望があれば教えてください。

浅井 世界的メゾンのスカーフなどを作っている企業が、2、3年前に糸を買いたいと言ってうちに来てくれたことがありました。他の企業からも、富岡のシルクの生産量がもう少し増えて安定的に提供できるようになったら取引を考えたいという声もあがっているようです。そんな風にシルクの需要は世界的に高まっていますが、富岡のシルクの生産量は他の国に比べるとどうしても少なく、シェアの95%は中国、残り4、5%をインドとブラジルで担っていると言われています。だから、今後できるだけ早く師匠たち世代から若い世代に技術を繋ぎ、富岡の養蚕農家を増やし、いずれは世界的ブランドに富岡のシルクを供給できるようになるといいですね。

蚕室で刈り取った桑の葉を食べる蚕
浅井広大さん(あさい ひろおさん)
1988年静岡生まれ東京育ち。京都大学卒業後、甘楽富岡の椎茸農家で研修をし、青年海外協力隊としてネパールでキノコ栽培の普及に従事。2015年に帰国後、富岡市に移住し甘楽富岡の養蚕農家で研修を受け独立。2019年から富岡市南後箇で繭の生産と下仁田ネギの栽培を生業にする

養蚕体験・研修所 大丸屋
群馬県富岡市南後箇1361-1
080-5071-1988
Instagram:@seri.daimaruya

写真:三橋里奈(蚕の写真以外)

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